平城宮を横切る近鉄奈良線
奈良には行った事がないですが、近鉄は名古屋宇治山田間で乗ったことがあります。
そこで気になる記事が掲載されました。
7月15日の日本経済新聞電子版に奈良の平城宮跡を横切る近鉄奈良線が迂回することになったとの下記の記事です。
世界遺産の平城宮跡を横断する近鉄奈良線の移設を巡り、奈良県、奈良市と近畿日本鉄道は16日、平城宮跡の南側への線路移設に向けた協議に入ることで合意した。移設の対象は大和西大寺―近鉄奈良駅の4.4キロとなる。
(中略)
県の計画によると、大和西大寺駅周辺を立体交差にするために駅を高架化。同駅―近鉄奈良駅の線路を朱雀門の南に東西に走る大宮通りに移設する。平城宮跡南側は地上に線路を敷設するが、宮跡東側から地下化する。
近鉄奈良線の歴史
現在、近鉄奈良線はどのように平城宮跡を横切っているのでしょうか。
Googleマップだと以下のようになっています。
平城宮跡地だけ不自然に更地になっているように見受けられるので、跡地の保存意識が非常に高かったのではないかと思われます。
平城宮は710年に元明天皇が遷都して作られた平城京の中心地でした。(「なんと(710)きれいな平城京」と年号を覚えた記憶があります。)
今の北京で言えば紫禁城に相当するものと考えればいいでしょうか。
1998年12月に東大寺などとともに世界遺産に指定されています。
この平城宮跡の南側半分を近鉄奈良線が横断しています。
近鉄のホームページによると、近鉄奈良線は1914(大正3)年4月30日、上本町~奈良間が開通。
1969(昭和44)年12月、奈良駅を地下化。
となっています。
こちらのページにあるように平城宮跡地は農地だったようです。
明治の終わりに平城宮跡の研究がなされ、次第に明らかにされましたが、開通当時は平城宮跡地という認識はなかったようですね。
1922年(大正11年)に平城宮第二次大極殿・朝堂院跡が史蹟に指定されていますが、近鉄線が通った後で、後の祭りだったのでしょうか。
移設計画
平城宮跡は第一次太極殿をはじめ、建物の復原が始まっています。
国土交通省国営平城宮歴公園ホームページによると、これからも復原を進め、奈良時代を今に感じる空間づくりを進めるとのことです。
そうなると奈良時代になかった近鉄線は邪魔になるということで、移設計画が発表されました。
平城宮跡西側にある近鉄大和西大寺駅は京都線と橿原線が合流しているため、西側の踏切が開かずの踏切だということでここから立体交差にし、平城宮跡の南側の大宮通りのところまで高架化、大宮通りは地下化とのことです。
(日本経済新聞電子版より)
平城宮の西側と南側に線路の高架が見えてしまうと、せっかくの奈良時代感が失われると思うのですが・・・。
橿原線と平城宮跡の間には近鉄の車両基地がありますので、そこを利用してうまく景観が保てないものなのかと思ったりしますが、地下化工事は高架化工事よりも莫大に費用が掛かるそうです。
予算の関係からもやむなしといったところでしょうか。
前述しましたが、奈良に行ったことがないので、一度訪れてみたいと思っている今日この頃です。